今はただ祈ることしかできない

 1年くらい前、福島第1原発3号機を見学した。あのサイコロのような四角い建屋の中は、窓がないから薄暗くて、計器とかケーブルとか作業指示板とか分厚い扉とか、予想に反してけっこうアナログだった。京極夏彦の「魍魎の匣」という作品に出てくる、美馬坂近代医学研究所という建物の描写を思い出し、原発が題材なのかなと考えた。いずれにせよ、そのとき、私は、人間の技術という奴は凄いなぁと、素直に感嘆していた。当時から、今に至るまで、仕事に使っているパソコンの壁紙は、この3号機、4号機が並んだ写真である。晴れた日で、青い空に、きっちりとした四角い水色の立方体が並んでいた。今はもう、崩れ落ちた。

 会社の偉い人から「君はもういったん休め」と言われた。「半月以上、異常な状態の中で働いているから、大丈夫そうに見えても疲労は蓄積してるはずだ」と。福島には戻してもらえない感触。もともと4月1日付けで東京に戻る内々示が出ていて、先週末には引越しも終えているはずだった。このゴタゴタで引越し業者と連絡がつかない。トラックが確保でき次第、荷物を出して、しばらく休みを取って、そのまま東京勤務となる方向になった。4月の上旬か中旬か。

 こういう事態だから、落ち着くまでは残らざるを得ないし、メドが付くまでは見届けたいと思っていたのに、こんな段階で戦線離脱なのかと、正直、落胆した。心を半分、福島に置いて逃げるような感じで、東京に行っても何も手につかないんじゃないかと思った。 

 いろいろ思案して、だけど、はらをくくった。何の巡り会わせか、この原発事故の最初も、事故の前も知っている、そう多くはいない人間の1人になってしまった。いったん福島を出ても、この問題から逃げられることはないだろう。向き合うしかない。目の前に起きていることを、記録にとどめよう。あらためて、しっかりと勉強しよう。これからどうなるのか、どうすべきなのか、答えを探そう。

 「俺はあの歴史に残る大事件に立ちあったんだ」とか深く考えずに自慢できる性格なら、どんなにか楽だろう。先を思うと、憂鬱で憂鬱で仕方がない。悪い方か良い方か、どちらに転ぶにせよ、これから待っているものは、何十年も続くであろう、責任問題、補償、被爆の実態と追跡、風評に中傷・・・。視野を広げれば、電力というインフラをどう再構築するか、社会は経済は産業は文明はどう変わるのか、余りにも重過ぎるテーマ。心して、心して挑まないと、心が折れる。

 とりあえず目先がどうなるのか、本当に分からない。

 最悪のケースを考えると、やっぱり原発を制御できなくなって、東電も国も福島県も現場を撤退する。50キロだか80キロだかに避難区域が広がる。脱出しようとする人たち、意地でも残る人たち、大混乱になる。そして、放射性物質による汚染は広く、深く、長く、それこそ東日本はダメになる。

 楽観的に考えると、原発をなんとか冷やせるようになって、空気も水も土も、放射線量は下がり続ける。しばらくは汚染は残るだろう。それでも、広島や長崎、水俣のように、いずれ、農林水産漁業は再開できるようになる。神戸のように、経済もある程度は復興できる。

 ただただ願うのは、ひとまずは、できるだけ早く事態が収束してくれますようにと。現場で、文字通り、死力を尽くして原発に立ち向かっている人たちが、どうか無事に、任務を果たしてくれますようにと。今はただ祈ることしかできない。