なすべきことをなせ

 出張で福島県会津若松市を訪れたときのこと。昼ごはんを食べようとたまたま入った喫茶店の中、7、8人は座れそうな大きな楕円形のテーブルの真ん中に、メニューと一緒にB5サイズくらいのノートが置いてあった。表紙に「何でも自由に書いてください」というようなのが記されていて、めくってみると「高校生から憧れの店だったけど、今日初めて来ました」「とってもおいしかったです」とか何故かドラえもんの絵とか色々書かれてるのに紛れて、とても気になる文章を見つけた。
 確か書き出しは「私は旅人。流転の末、ここに辿り着いた」。こんな感じ。3ページ分くらい、びっしり。要約すると、「工事現場とか色々な仕事を経験してきた。自分は進学校の優等生だった。だけどあるとき、母親が工事現場で働く人を見て、『あなたはあんな汚い仕事に就かなくてすむから良かった』と言ったのが、納得いかなかった。学校の先生も『君達は選ばれた人間だ』と言う。どうして『汚い仕事』があるんだろうって悩んだ末、敷かれたレールを外れて、その仕事をやることにした。『汚い仕事』ばかりやってきた。どうして世界は不公平なんだろうか。どうして世の中はヒエラルキーがあるようにできているんだろうか。おかしい」

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 東北新幹線に乗ると、座席の前に機内誌が置いてあって、伊集院静という作家のエッセーが載っている。仙台に縁がある人で、東北での知名度は高い。数ヶ月前に読んだものが印象的だった。田植えを見ると母親が「感謝しなくちゃねえ」と口癖のように言っていたことを思い起こす、という内容。自分達は農作業をしない。代わりに食べ物を作ってもらっている。だから感謝しなくちゃいけない−−。当たり前のことだけど、そうした素朴な気持ちが自然と口に出る人柄が素敵だ。
 30年生きてきて、最も心を揺さぶられた歌は何かと尋ねられたら、迷わず美輪明宏の「ヨイトマケの唄」とこたえる。家で1人でいるときに、ユーチューブでヨイトマケの唄を視くことがある。(本当はDVDを買いたいのだけど、店で売ってるのに出くわしたことがない)。聴くたびに泣き、正真正銘号泣することもある。

 子供の頃に 小学校で
 ヨイトマケの子供 きたない子供と
 いじめぬかれて はやされて
 くやし涙に くれながら
 泣いて帰った 道すがら
 母ちゃんの働く とこを見た
 母ちゃんの働く とこを見た

 何で泣くのかって、それは、人が「きたない」と言おうが見下そうが、母ちゃんは家族を支えるため、「身を粉にする」という言葉そのままに、働く。それを目の当たりにして、子供は感じ取る、感謝する、そうした心の流れに揺さぶられるから。

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 理想論を語ろう。生計を立てるため、世の中には様々なすべがある。すべてにやりがいや満足があるとは逆立ちしても言えない。たとえば死刑執行のボタンを押す人が、ソープ嬢が、高利貸しが、胸を張って自分の生業を語れるとは正直思えない。自分が望んだ職に就けなかったり、働いても働いても将来の見通しが立たなかったり、何らかの障害があったり、世界はそう単純でもない。
 それでも、人は皆、そのときそのとき、なすべきことがあると思う。不平不満に埋め尽くされる前に、自ら果たすべき役割はあると思う。狭い意味での仕事人に限らず、主婦も子供もおじいちゃんも。そして誰に対しても、あなたのなすことは世の中にとって必要なことなんですと言いたい。誰もが自分がなすべきことをなして、お互いに尊重できるなら、世界はもっと素敵になると思うのだけど。