仏像を掘り出すかのように

 「2行で1分」。もしかしたら「1行で1分」だったかもしれない。新人のころ、原稿を書くのにかかる時間の目安として聞いた。1つのテーマについて120行で書くことがままある。1行が10文字ちょっと。原稿用紙だと3枚分。目安にしたがうなら1〜2時間で書き上げることになる。これがいまだにできない。締め切りが迫ってものすごく集中できたら可能なときはある。ただしだいたいのところ、自分が聞いてきた話をどうまとめたものか悩み、構成が決まってからもどんな表現が良いのか悩み、だらだらと何時間もかかって夜が更けてゆく。毎回そんな感じ。
 10年近く勤めてきて、書くためのスキルが上がったという実感はある。何が変わったのかというと、昔は原稿を書き上げてみたところで「これで大丈夫だろうか」と不安で、電話が鳴るたび、びくびくしていた。実際、「こんなんじゃ成立しないだろ」と何回何年怒られてきたことか。いまはまぁ、どんな仕事を降られようとも、とにかく最低限満たすべき条件はわかるし、そう文句を言われないだけの最低限のものに仕上げることはできる。それでも、原稿を書くのにかかる時間は、新人時代と比べて短くなったということはない。
 原稿を書き上げるまでには3つのステップがある。1、何を書くか決める。2、誰に話を聞くか決める。3、まとめる。実際に執筆に入る前の1と2が実に肝心だ。新人のころ、誰かに聞いた話をもとに書けると思って書いてみると、ほかに必要なファクト(事実)が足りずあとから困るということはしょっちゅうだった。肉じゃがを作りたいのにジャガイモとニンジンしかない。肉がない。慌てて、やっぱりポテトサラダにします、という感じ。
 いまはもう、どんなメニューを作るか、どんな食材が必要か、こうした点の段取りでしくじることはほとんどない。問題はどう料理するのか・・・。
 話を聞いた人の生き方そのものに触れることがあったり、関係各所に良くも悪くも影響を与えたり、そういうことは多い。3の部分、聞いた話をどうまとめるのかは、やっぱり半端な気持ちでは臨めない。パソコンに向かい、メモを眺め、うんうん考え、キーボードを叩き・・・。あのひとが言ったこの台詞はこんなニュアンスだろう、この話はこの部分が肝だな、などと1つ1つ文字にしていく。
 けっきょくのところ、自分が感じて理解した以上のことは書けないから、原稿を書くという作業は、話を聞いた人たちと向き合うのと同時に、自分の内面に向き合う過程でもある。木の塊から仏像を掘り出すようなイメージを持っている。
 長々と書いてきたけれど、そういうふうにして仕上がった「作品」は、じゃあ満足いく出来映えなのかというと、そういうわけでもない。俺がこれを書いたんだと胸を張れるようなものは、1年間で何本あることか。
 どこまでいっても研鑽が必要なのだと思う。