オトナの花見

 「花見やりましょうよ」「いいねぇ」。いつものバーで言ってみたら好反応。その数日後、再び店を訪れると、なんかみんないろいろプランを練ってくれていた。まず20人くらい座れる場所を1週間前から確保しろ。食器は紙じゃなくてプラスチックのほうが格好いいなぁ。マージャン卓もいるぞ。「七輪持ってくるよ」と言ってくれる知り合いもいて、「じゃあ、あれだな。サシ入りのうまい肉を焼こうじゃないか」

 「『大人の花見』をやってくれ」とマスター。大変そうだけど、やばい、楽しい。

 かぼちゃの島の時間銀行

 小学生のころ、「たくさんのふしぎ」という月刊誌を購読していて、その中の「かぼちゃ人類学入門」という絵本に強烈な印象を受けた。かぼちゃでできた島に住む素朴な人々の話で、奇想天外っぷりに目を輝かせて読んだ記憶がある。その島の銀行には「お金」だけでなくて、「時間」「幸せ」も預けることができるのだ。

 「お金」も「幸せ」もいいから、とにかく「時間」がもっとほしくてたまらない。夏休みを持て余していた大学生時代を思い出しながら、時間銀行さえあれば・・・と考えずにいられない。一方で、「職場に泊まるな。ダラダラ仕事をすりゃいいんだと、お前の後輩が真似をする」と上司に怒られる。もっともだ。もっともだけど・・・。

 「明日なき我等」

 明日の朝に履く靴下がなくて深夜2時にコンビニに買いに行くのは、哀しいことこのうえない。週末バタバタとして洗濯をする時間を取れなかった。部屋の隅に積みあがっている洗濯物の山は、そのまま仕事の行き詰まりっぷりを表している。「入社して何年になる」「2年半です」「そうか、2年半無駄にしたな。君は失敗作だ」。上司の台詞は、しかし心をえぐらずに右耳から左耳へと抜けていく。
 「どれだけ言ったって君は反省するそぶりだけで、実際は何も反省してないんだろうけどな」。おっしゃる通りだ。打たれ強いわけでなく、不感症に近い。今の職場から飛ばすなら飛ばしてくれていいとすら思っている。2年半やってきて、そういえば、仕事でうまくいっていると思ったことがない。いつも何とかやり過ごしてきたけれど、1年目、2年目、3年目と次第に積みあがっていく責任の重さを前にして、繕いきれなくなってきた。
 連日暗い日記だけど、経験則から言って、愚痴を吐いている時よりも日記を書いていない時のほうが行き詰っているので、大丈夫です。たぶん。

 ゴルフデビュー

 グロスで229という、空前絶後のハイスコアに終わる。ボーリングで例えるなら、ガーターばかりで30くらいしかスコアを取れなかったと言えばよかろうか。きちっと飛距離出る方々はカートに乗って移動するところ、俺は半分も飛ばないので、打ったら走って打ったら走って、18ホール分の距離を走りに走りました。雨の中、くたくたの6時間。
 上司とは気軽にプレーできないということも思い知らされた。「走れ」「走るな」。「とっとと打てよ」「もっと落ち着いて打つんだよ」。「頭使えよ」「勝手にやんじゃねえよ」。パニックですよ、もう。ただまぁ、「グリーンの上は走らない」とか、「前の組、後続組の様子をきちんと見る」とか、そういうマナーは、何度も怒鳴られたので身に染みて覚えた。友人と行くと、おざなりになるかもしれない部分なので、そこはよかったのかも。

 はるかなる南極

 コンビニで年賀状が売られ始めたのを見て「あぁ冬だな」と思う、その季節感の乏しさが哀しいこのごろ。年賀状と言えば今日、学生時代の恩師から「ひと月早い年賀のごあいさつ」が届いた。「ちょっと南極へ」と書いてある。かつて新聞記者だった先生は、今月から来春まで、南極へ取材に行ってくるのだという。連絡先として昭和基地のメルアドが記してあった。できれば葉書を送りたいが、仕方ない、元旦にはメールを送ろう。  文末に「私も、もう一度、現場へ!」と書いてあった。こりゃあ、俺みたいなペーペーが、へこたれてる場合じゃねえな。負けてられるかこんちくしょう。